Thursday, August 30, 2007, 09:53 AM
・・・とまあ、お堅いタイトルではありますが、そこはそれ、庶民の目線で、社会の二極分化について、次のようなネタを集めてみました。
●ビール
発泡酒、第三のビール、と、安値路線が進んできたところで、ここへ来て、「プレミアムビール」と呼ばれる、高級志向?なビールも売上を伸ばしていると言います。
毎日飲みたい人、量が多い人などは特に、ビールの単価も生活上、重要な課題ですね。当然、少しでも安いものを、それでいて味も重要、となるわけですが、一方で、たまには味優先で、という人も増えてきた。
私なんぞは、一日1本飲むかどうかという感じ、言い換えれば、月1ケース程度なので、以前は発泡酒主体でしたが、最近は月+1000円程度ということで、普通のビールを買うことも多くなっています。
日々、安いビールで切り詰める人もいれば、高級路線まっしぐら、という人もいるのか、もしくはいろいろ取り混ぜながらなど、人それぞれなんでしょうが、安値路線の反動で、プレミアム指向も進んでいるようで、見事な両極化、と言えなくもありません。
●鉄道車両
昔は普通列車のグリーン車と言えば、横須賀線くらいしか知りませんでしたが、今では高崎線、常磐線など、いろんな路線で見かけるようになりました。先日も、並走する向かいの電車に、二階建てのグリーン車両が2両・・・、これがまた、一般車両と好対照です。
一般車両はゴミゴミ、蒸し暑そうですが、グリーン車は快適、ゆったり。グリーン車ならみんな座れるから、高さは必要ない=二階建てにできる、・・・JRとしても格差社会をうまく捉えた商売、と言えるかどうかはさておき、こんなところにも「プレミアム・ニーズ」は存在するのだな、と感じた次第です。
●くるま
高級車が売れている、といいます。BMW、ベンツ・・・経済的にゆとりのある団塊世代等が主な購買層のようなのですが、一方で、一般国産車の国内販売台数は頭打ち・・・。
「若者のクルマ離れ」などと、現代の若者が、あたかも車をあまり必要としない世代であるかのように言われていますが、私はそうは思いません。
基本的に若者は車が大好きです。自分で動かす、好きなところへ行く、初めての大きな買物・・・こんな魅力的な商品はありません。欲しくないわけではないのだと思います。ただ、買えない。買いたくてもそこまでの経済的余裕がない、将来が不安、等々で、消費の優先順位として下げざるを得なくなっているのが現状なのではないでしょうか。そしてそれは、格差社会としての二極化も深く影響している・・・憶測半分ですが、そう思うのです。
買いたくても買えない。お金のある人は「プレミアム・カー」に流れる。そんな状況なら、中途半端な「安くて良い車」を作っても限界があります。ユニクロ級、ダイソー級(100円かよ)の格安車、当然、品質も問われますが、それくらいの価格価値がないと、到底、需要は広がって行かないでしょう。若者の身近な目標として、車を買うことがいつまでも現実的であってほしいと思うのですが、なかなか、そんなこともままならない世の中ということなんでしょうか。ちょっと寂しいですけどね。国産車のコスト削減もほぼ限界圏なのでしょうから、あとは、若者層が安定的に一定の収入を得られる、安心できる環境を作れるかによって、車の需要は左右されるのでは、とも思います。
そんなこんなで、日常に垣間見えた「格差」の視点で、いくつかの対象をつなげて見てみました。他人事のように書いていますが、私だってこういう世の中、自然と財布の紐は締まりがちです。格差社会の是正といってもその取り組みは多種多様で、難しい面も多いですが、消費のすそ野を広げることも、ビールや車のような「国民産業」にとっては大きなテーマ・課題であるのだなと実感した次第です。
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Wednesday, June 13, 2007, 01:25 PM
コムスンを巡る一連の事件(敢えて「事件」と言います)は、高齢社会真っ只中の我が国にとって小さくない出来事でした。高齢者に関連した福祉の計画づくりなどもお手伝いしている当社にとっても、他人事とは思えない、非常に重い課題を突きつけられたように感じています。
介護保険(制度)が始まる前は、一般に介護は身内がするものという認識でした(今でも地方によっては根強かったりしますが)。親の介護が必要になれば、子どもやその嫁が面倒を見る、というように、家族のなかで処理されてきた問題であると言えます。
しかし、高齢化により介護問題が社会的な課題として大きな位置づけを占めるようになるとともに、核家族化や少子化などにより、家族による介護も限界が見えてくる時代となりました。そのため、介護を家族ではなく、社会全体で担うようにすること、また、保険制度という、相互扶助、支え合いの仕組みとして取り組んでいくために始まったのが、介護保険というしくみ、制度なわけです。
介護の社会化とは、一方では介護ビジネスの本格化を意味するものでした。ボランティアによる介護では広がりは期待できません。あくまで商売として成り立ってこそ、増大する介護需要に対応できるというのはごく自然な考えであり、旺盛な意欲を持った事業者も現れるようになりました。
コムスンの件は、そうした商売の意欲があまりに行き過ぎた例であり、もちろん許されるべきものではありません。しかし一方で、こんなことも考えてしまうのです。
「では、介護ビジネスの望ましい規模や姿とは、どういったものなのだろう・・・?」
そう考えるのは、コムスンのような巨大な会社がある一方で、草の根に根ざした小さい事業所もたくさんあるのが、介護ビジネス市場の実態であるからです。
介護とは、大量生産の効かない、手作りの仕事です。一人ひとりに対応する必要がありますし、そのニーズもまた十人十色、一律ではありません。
だからこそ、小規模な事業所もきめ細かいサービス等で重要な役割を担っているのですが、一方で、小規模だと、どうしても効率的には悪くなってしまいます。スケールメリットを活かした効率性と、ニーズに的確に対応するための手作り感・・・、これをどのレベルで両立していったらいいのか。そこに非常に難しいテーマを感じてしまいます。私自身、小規模で非常に評判の高い事業所をいくつも知っていますが、その多くが、商売としてのうまみを半ば度外視した、運営者の熱意や忍耐でやりくりしているような印象を受けた覚えがあります。そうした形で、果たして今後も生き残っていけるのか?・・・、後継者は?・・・、持続的に継承されていくのか?・・・等々、小規模事業所の行く末もまた、案じてしまうのです。
マーケットですから、需要と供給は「見えざる力」によって、自ずとベターな方向に推移していくのかも知れません。しかし、マーケットの流れに任せつつも、介護市場におけるベストな姿とは何なのか、常に描き、その姿を共有しておくことも必要なのではないでしょうか。
コムスンについては、許されざる罪の一方で、24時間介護など、「功」の部分を評価する声も聞かれます。さまざまな問題・課題のうねりを抱えながらも、介護サービスは社会に不可欠なものとして受け入れられてきました。制度発足から10年、介護を巡る総括と展望を行うにはちょうど良い時期なのかなと、あらためて思う次第です。
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